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 1999年の大会に初出場で完走してから、2000-2002年と3年連続関門アウト。2004年北海道マラソンでは、なんと自己ベストで完走することができました。2005年の大会も、気温が高くて厳しい条件の中、 無事完走しました。2006年の大会は、11月の東京国際女子マラソンにつながる走り が目標でした。最高気温が32度にまで上がるサバイバルレースの中、目標の3時間35分を切る3:33:23で完走する事ができました。
そして、2007年は脱水症状になってしまって中間点でリタイア。これで再び負け星選考です。
来年は絶対リベンジします。

  • 北海道マラソンについて

     北海道マラソンは、毎年8月の最後の日曜日、決まって暑い日に開催される。市民ランナーとエリートランナーが一緒にスタートしてゴールを目指すことのできる大会で、参加資格は女子の場合フルで4時間以内、ハーフで1時間55分以内の記録を持っていることというのが条件だ。
    (2004年より ハーフ記録が女子2時間以内に緩和。男子は1時間50分以内に−2004/8/27追記)
     しかし、マラソンは本州では秋〜冬のスポーツで、いくら北海道といえども真夏に開催される市民大会ではないフルマラソンの大会はとてもめずらしい。
     市民ランナーにとっては、この大会は「いつかは北海道マラソン」という気持ちになるほど憧れの要素が強い大会だ。
     

  • 私と北海道マラソン

    • 毎年の応援の楽しみ

      第一回大会が開催されたのは、 1987年。コースが真駒内からのワンウェイコースになってからは、家の近くの35キロすぎの地点で、通り過ぎるランナーを応援するのを毎年の恒例となっていた。
       先頭集団のスピードに感心するのと同様に、その後に続く市民ランナーの走る姿を見るのがとても好きだった。35キロの関門を通り過ぎて、あと1つの関門をクリアできるかどうかという後ろの方のランナーには特に一生懸命声援を送っていた。
       なんといっても魔の35キロ。そこにはいろいろなドラマがあって、一人ひとりに、「もう少し、頑張って!」と声をかけたくなるのだった。
       いつかはその中で自分も一緒に走りたいという気持ちはあったものの、真夏の暑い中42キロを走る自信は全くなかった。

    • FRUNに入会して

      niftyのランニングフォーラムに入会し、全国からやって来た大勢の仲間が憧れの北海道マラソンを走るのを応援して、自分も出来るかもしれないと思うようになった。
      長い距離を走る練習の「3時間を走る会」、走って痩せるが目的の「脂肪を削る会」、冬でもさぼらず練習するように「冬眠しない会」など、オンラインのイベントに参加して、会ったことのない大勢の仲間たちと励ましあいながら練習をすることができた。
      それでようやく、自分もエントリーしてみようという気持ちになり、1999年の北海道マラソンにエントリーをした。

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