私がホノルルで初めてフルマラソンを走ろうと思った年の春、私のもとに「こうめ」がやってきました。職場の同僚の駐車場に黒く小さいものがうずくまっていて拾ってみたら猫だったとの話を聞き、私が親代わりとなったのです。同僚の家ではちょうど初めての子供がうまれたばかり。父親として赤ちゃんを初めて病院へ見に行った帰りに捨てられていた猫です。まだ目も開いていない黒猫は、やさしい同僚からミルクをストローでもらって命を救ってもらったわけです。 黒猫を引き取りに行ったあと、早速ペットショップに行って、粉ミルクと哺乳瓶を買ってきました。 真っ黒なメスの黒猫を、名前は「こうめ」と名づけ、その晩から私の枕元において、3時間おきにミルクをやるという生活が少し続きました。1ヶ月ほど経った時に一度体力が落ちて、体温が下がりぐったりしてしまい、あわてて病院へ走ったこともありましたが、その後は、あまり病気もせず、手間のかからない子でした。 猫のくせに、爪とぎもせず、高いところにジャンプすることも無く、なんだか野性味のない生活態度でしたが、たぶん目が開かないうちに捨てられてしまい、親猫に猫の習性を習わなかったのではないのかなと思っていました。 それからは、いつも私とともにいて、愚痴を聞いてもらったり、いろいろな事を相談したりと、いつも私を見守っていてくれました。 実はそれまで犬派だった私ですが、すっかり猫派(こうめ派?)に変わり、こうめ抜きの生活は考えられないほどになってしましました。上と右の写真は、まだ小さいころの「こうめ」の写真です。
1996年秋にパソコン通信のniftyでランニングフォーラム(FRUN)ができ、私は「こうめ」というハンドルで入会しました。以来、8年間私は「こうめさん」と呼ばれてきました。 マラソン大会で会う仲間に呼ばれる「こうめさん」という名前はすっかり私の名前として自分の中に定着してしまいました。 2003年の初夏のころから、年齢のためか急に体力が落ちていき、食べても食べてもやせていくという状態でした。最後は、トイレの場所もわからなくなってしまったようです。8月の洞爺湖での家族キャンプへ出発する朝、いつもと様子が違うのに気がつき、タオルに包んで一緒に連れて行きました。もしかしたら道中息を引き取るのではという心配もありましたが、留守番をさせておいて私たちが帰ってきたら・・・ということを考えると、一緒にいてあげたいという気持ちでいっぱいでした。 結局、洞爺湖のキャンプ場の最後の朝、こうめは私の腕の中で息を引き取りました。17歳という年齢は人間で言えばかなりの高齢。天寿を全うしたということになるのですが、いつも一緒にいた私にとって彼女の存在はとても大きかったことに改めて気がつきました。 天国で私のことを見守っていてくれる「こうめ」のためにも、ランナー「こうめ」は、ちゃんと復活しなくてはと思う日々です。
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