2000年のサロマ湖100キロウルトラマラソンを走りました。その前の年の11月にNYCマラソンで自己ベストを出して、2000年の4月にはボストンを走ってきたあとのことです。フルマラソンの2倍以上の距離を
、ひたすら走るってどういうことなのか、走る前には想像もつかなかったし、そんなことができるとも思わなかったけれど、いざその気になってみると、できないことではないんだなあというのが実感でした。
ウルトラは一度出ると病み付きになるといいます。 が、そのための練習やその他もろもろ考えると、私にとっては毎年出られるというものではないような気がします。でも、いつかはもう一回。。。
以下の文章は、2000年に走った直後の、niftyのランニングフォーラム(FRUN)の会議室で報告した完走記です。今になって読み返してみると、いろいろな人たちの応援で100キロを走ることができたような気がします。
応援してくださったみなさん、どうもありがとうございました。
2000年6月25日、私にとっての初めてのウルトラマラソンの日。昨年のsandyさん(注:1)の挑戦を読んで感動し、すっかりその気になってしまって申し込んだのは、雪がたっぷりある冬の事でした。 100キロ走るにはそれなりの練習をしなくちゃとは思いつつ、ボストンマラソンから帰ってきてからは、やっぱりちょっと脱力状態でした。 ふれっぷ詣(注:2)の70キロと洞爺湖復興祈願マラソンのフルが長い距離の練習で、その他は本当に走っていない状態。今だから言えるけど、5月は150キロ位。6月はもっと少ない100キロ位しか走っていませんでした。 だから本当はとっても不安だったのです。 「こうめ完走説」も、黄色信号点滅状態。だけど、絶対完走しなくちゃという気合だけはありました。
前夜祭に集まったウルトラな方々の塊を見て、なんだか不思議な気分になってしまいました。走らない人々にとってはクレイジーとも言える100キロや50キロを走る人が全国から2500人も集まっているなんて。 皆、いい顔をしていました。
注:1)sandyさん-frunの仲間・ウルトラの先輩) 注:2)ふれっぷ詣-岩見沢から深川の「ふれっぷ」(FRUN仲間の喫茶店)まで70キロを4月下旬に大勢の仲間と走った。
スタート15分くらい前にようやく皆がスタート地点に集まり始め、ウルトラの静かな幕開け。 スターターの「位置について」の声が似合わない程静かなスタートでした。 ゆるりゆるりと進み始めてようやく流れに乗った時には、未だこれから始まる長〜い一日がどんなものなのか全く想像できませんでした。みゆきさん親子や飛鳥さんやPEGAちゃんの彼女(注:3)の応援で、1/4はあっという間にすぎて行きました。 昨年、宮本さん貝畑さんと小樽まで走った時(注:4)一緒だった、サロマンブルー(注:5)のYさんを見つけ、ウルトラは50キロからですよとありがたいお言葉をいただく。Yさんは、62歳。すばらしいの一言! 40キロ地点の手前で、右の草原に突然「子鹿」が現われて、頑張って〜と応援してくれた。まるで子鹿のバンビのような、いたずらっ子の目をした可愛い子で、うれしいハプニング。 フルの距離を通過すると、ウルトラの距離に入りましたよ〜と声をかけられました。なるほどね。 ここまで、5回トイレ休憩。
55キロ手前の緑館前までは、制限時間を気にする事もなく、給水所毎に色々食べていました。35キロでもらった、アンパンにうめぼしをちょこっと乗っけてくれたのが、とってもおいしかったです。 55キロ手前で、飛鳥さんの声援で元気をだして、緑館到着。ホタテおにぎりもしっかり食べて更衣室へ。 しかし、更衣室の中では、思ってもみなかった会話が...。 「トイレにばっかりいってたらタイムロスしちゃって。」(あら私と同じ) 「暑いし、ペースは落ちてきたし、このままじゃ関門にひっかかってしまう。 きっと完走は無理だと思うわ。」(えっ、そんな時間!!
・・気がつくのが遅かった) いや〜、それからが大変。
60キロ関門は、閉鎖30分前。次の関門までは、1時間45分。あと40キロか〜と、ちょっと弱気虫が出てきた。
注:3)みゆきさん、飛鳥さん、PEGAちゃん彼女-すべてFRUNの仲間 注:4)1999年6月から8月にかけて稚内から鹿児島まで日本縦断は走り旅をしたブラインドランナーの宮本武さんと伴走の貝畑さんの行程の一部
札幌から小樽までを、一緒に走らせていただきました。 注:5)サロマンブルー-サロマ湖100キロマラソンに10回完走した人に与えられる称号(ゼッケンの色もブルー)
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ここから先は、暑さでペースは落ちる一方。照り返しは強いし、疲れてくるしで、2.5キロごとの給水所の滞在時間は長くなるばかりでした。
70キロ関門通過は、なんと閉鎖5分前。次の関門まで、1時間20分。
まずい〜!!このペースで走っていたら80キロ通過は無理と気がついてしまった時、頭をよぎったのは、「こうめ完走説崩壊」のシナリオ。給水所毎に水分と栄養分を補給しなければ走れないし、ゆっくりしてたら関門に間に合わないし...。サロマ湖東急リゾートでのおしるこを楽しみに参加したのに食べてる時間がないかもしれない...。でも食べたい...。75キロまで行ったらそこでどうするか考えようと、半分、いや80%くらい完走はあきらめてしまいました。 でも、75キロ地点で、みゆきさんやちびみゆちゃん、こあきさん(注:6)のお友達の声援に、あきらめるのはまだ早いと思い直して、おしるこは1杯だけにしてワッカを目指して走りました。
とにかく行ける所までは頑張って行ってみて、関門に間に合わなければしょうがない。ぎりぎりでも行ける所までは行こうと決心。この時点でのあきらめ度60%。頭の中は、完走できなかった時の自分への言い訳ばかり考えていました。 練習してないし、暑いし、100キロは初めてだし、やれるだけ頑張ったらから良しとしようなんてね。 でも、周りを見るとみんな楽には走っていない。つらいのは自分だけじゃないし、いろんな思いを胸に秘めてゴールを目指しているだなって思ったら、言い訳考えている場合じゃないって気がつきました。
80キロ関門通過、閉鎖の10分前。5分貯金が増えた!
ワッカに入ると折り返してくる仲間達に勇気付けられ、中だるみから徐々に回復してきました。考えてみると、とってもいい天気で景色は抜群。ここを折り返すとすぐ90キロ地点。そこまで行けばなんとかなる。そこまでなんとしても行かなければと妙に気合が入ってきました。私のどこにこんな根性があったかと自分でも疑うくらい頑張っちゃいました。
90キロ地点、関門通過15分前。また5分貯金が増えた!
よ〜し、あと10キロ。うまく行けば12時間30分くらいで完走できるかもしれないと気がつき、なぜかここでペースアップ。余力は出せばでるもんだとびっくりしてしまいました。 ワッカを抜けた時は、本当にうれしくて、うれしくて。 ラスト1キロをすぎたあたりでこあきさんの後ろ姿(注:6)を発見。一緒にスパートして、両手を上げてゴール。
長くてつらくて暑い100キロがようやく終わりました。後半、一歩でも歩いたら関門に引っかかってしまう状況に追い込まれたお陰で完走できたのかもしれません。
参加者それぞれの100キロに込めた思いは様々だけれど、貴重な同じ何時間かを共有できた事は幸せだったと思います。 私は「あきらめなければ思いはかなう」を実感する事ができました。 皆さん、どうもありがとう!
注:6)こあきさん-50キロ部に出場し、見事完走
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開催日 2000年6月25日 天候
:くもり〜晴れ 気温:最低 10度 最高:29度
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一般女子100キロの部出走者:245名 完走者 112名 完走率 45.7%
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合計(男女、登録一般含む)出走者:1839名 完走者1057名 完走率 57.5%
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