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  • 練習の日々

 1999年、いよいよあこがれの北海道マラソンが自分のものになった。どういう訳か必ず暑くなる北海道マラソンの日。その対策のために、本番までは暑い日に好んで外に出て、長い距離を走る練習を繰り返した。でも、練習のモットーはあくまで、「楽しく」。暑い中、着替えを背負って温泉を目指して走ったり、涼しい木陰を求めて山麓の道を走ったり。限られた時間の中で、なるべく長続きできて、あきない練習を心がけた。

  • いよいよスタート

  いよいよ本番の日、やっぱり北海道マラソンらしい天気に恵まれてしまった。全国から集まったランニングの仲間と一緒にスタート前のひと時を過ごす。今までは、応援の側から見ていた北海道マラソンが今度は走る立場になっていることにちょっと戸惑いとうれしさを覚えて、スタートの時刻を待っていた。
 果たして完走できるのかどうか。全く自分ではわからなかったけれど、不思議と落ち着いていたのを覚えている。
 前の年の11月のNYCマラソンで、初めての苦い経験となったシャリばて(低血糖)を教訓にして、ポケットにはguという補給食を入れた。応援に応える
 スタート直後は、大勢のランナーでごった返した状態になっていて、ついついペースが上がってしまう。先行逃げ切り型の私もご他聞にもれず、少々オーバーペース気味の入りになってしまった。途中、FRUNの仲間と何人も会い、言葉を交わす。さすがに、沿道の応援がたくさんいて気持ちがいい。
 だいぶ増えてきているとはいえ、女性ランナーには特に大きな声援が飛ぶのがありがたい。5キロごとの関門も、締め切り時間をあまり気にすることなく、半分が過ぎていった。
 北大前を通り過ぎ、北24条のあたりで、FRUNの仲間からバナナをもらい、手に持ちながら走る。ここを過ぎると、自分のなわばり。35キロの関門はもうすぐだ。もう少し

  • 最終関門通過

 今までいつも自分が応援していた場所を通り過ぎ、いよいよ最終段階。40キロの関門のところに、FRUNの仲間の顔が見えた。大きな声で応援してくれている。「こうめさ〜ん」と大きな声をかけてくれている。40キロ関門通過。思わず小さくガッツポーズをしてしまった。
 あとは、駅前通のウイニングロードをまっすぐ南に走っていくだけ。ゴールの中島公園はもうすぐだ。あと2キロしかないというのが、もったいないくらい、気分よく走ることができた。

 ゴールは、3時間52分37秒。今までの自分のフルマラソンの自己ベストの記録だった。

  • みんなありがとう

 憧れの北海道マラソンを完走できたのは、たった一人の練習の時でも、同じ時間にどこかで走っているかもしれない大勢の仲間と励ましあうことができたからだと思う。

 レースの後によく聞かれるのが「何位だったの?」という言葉。何番目にゴールしたかは、私にとってはほとんど関係なく、どんなタイムだったか、そしてどんな風に走れたかということが問題です。
 マラソンって、その前の練習がちゃんと出来たかどうかが正直に出てくるので、ごまかしが利かないスポーツです。でも練習していたからといって、その時の体調によってどんなレースになるのかわからないし。走り出して初めて「今日は体が軽いぞ」とか「なんだか調子が悪いなあ」とわかるような気がします。
 この年の北海道マラソンの時は、とてもよい感じに走れたんだと思います。

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