外遊びしよう! / 写真歳時記 / 別館「こうめの部屋」
ブロンクス〜再びマンハッタンへ 沿道で差し出してくれるオレンジやバナナのお陰で、なんとか走り続けることが出来てはいるけれど、 ペースは本当にジョギングくらいのスピードしか出ていない。時計を見る事もすっかりやめてしまってひたすら走るしかないと自分に言い聞かせる。周りの応援の声がなければ、まるでいつものLSDをやっているような感覚だ。 ニューヨークシティマラソンコース上5つ目の区の「ブロンクス」の1マイルを過ぎれば再びマンハッタンだ。20マイル地点から21マイル地点のブロンクスの旅を終えると、あとは南下してゴールのセントラルパークを目指すだけだ。とぼとぼのジョギングモードでも、足は歩こうとはしない。惰性のように走り続けていよいよ右側にセントラルパークがやってきた。 23マイル付近の給水所で立ち止まって近くにいた女性に写真を撮ってもらった。 カメラはかぶった水や汗でレンズが曇ってしまっている。 「とっても疲れた〜」と弱音を吐いたら、 その女性は、“But you do it ! ”と励ましてくれた。 そうだ。私は、よれよれになりながらもまだゴールを目指して走ってるんだ。もう少しだけこうやって走ればゴールに入ることができる。そう思ったら少し気持ちが楽になった。 黄色く色ついたセントラルパークの木々が見え隠れする5th.Ave.を走り続けた。
ゴール911後初めて訪れたニューヨーク。911の年の11月にもニューヨークシティマラソンは復興を願って開催された。今年は大統領選挙直後。人々はどんな風に暮らしているんだろうと気になっていた。911で亡くなった人の写真を貼って走っている人。あの事は忘れないとメッセージを書いたTシャツを着ている人。ブッシュ反対を意味する標語を背中に貼って走っている人。それぞれがメッセージを持ちながら走っているように感じた。70,000人の応募者の中から35,000人が選ばれて走らせてもらっているのを考えると、走れなかった人たちのためにもなんとか沿道の応援に応えてゴールしたいという気持ちが強かった。 24マイル手前で、セントラルパークの中に入る。あと2マイルと少し。細かなアップダウンのある公園の中の道を走りながら、以前の3回のNYCマラソンの事をなぜか思い出してしまった。97年から99年までの3回はどんな気持ちでここを走っていただろう。あの時と、何にも変らない暖かい声援を聞きながら、あきらめなくてよかったと心から思った。25マイルで、もう一度立ち止まって写真を撮った。つらい26キロももうお終いかと思うとちょっと寂しかった。 セントラルパークの南側の道に出ると目指すゴールはもう少し。最後くらいは満面の笑顔でゴールをしよう。タイムは遅かったけど、一歩も歩くことなく26.2マイルを走ったのだから。 ゴールに入ったら、ほっとした。とにかくほっとした。もう走らなくていいんだ。倒れずにゴールできた。前半からシャリバテになって、自分の体をだましだまし走り続けた4時間とちょっと。やればできるもんだと自分でもびっくりした。背中につけた「3:30」のペースチームの目標タイムは、寂しくよれっとなっていたかもしれないけれど・・・。ゴールタイムは、4時間13分38秒。4回のNYCマラソンのタイムの中では一番遅いタイムだった。 大勢のランナーがメダルを首に掛けてもらってから、防寒用のアルミのシートを着せてもらい、荷物の引き取り場所に向って歩いている。走り終えたのに低血糖状態で、いつまでたっても心臓が苦しい。たまらずに、道端にしばらく座り込んでしまった。 ナンバー引き換えに行った時にもらった公式スポンサー「アシックス」のポスターに書いてあった言葉がこれ。 AT 18 MILES YOU WONDER WHY YOU DO THIS. AT 26.2 IT ALL BECOMES PERFECTLY CLEAR. ゴールまでの42キロの自分との葛藤や体の痛み、そしてそのレースに向けてしてきた苦しい練習の思い出などから、ゴールに入った途端に、「ほっとした解放感で満たされる から」というのが、私の答えだった。ゴール後にメダルをかけてもらった姿をカメラマンが撮影してくれるサービスがある。多くの人が入れ替わり立ち替わりその場所に立って、誇らしげに完走した姿を撮ってもらっている。ここで写した写真は、気に入ったらあとで注文できるようになっているのだ。その横を私は通り過ぎた。どうしても、その場所で完走メダルをかけた笑顔の写真を撮ってもらう気分になれなかったのだ。 ようやく自分の荷物のあるトラックの場所までたどりついて、預けてあった荷物を引き取り、りんごやパワーバーの入った袋を受け取った。依然として歩くのもつらい状態が続いて いて、トラックに寄りかかって着替えもせずにへたりこんだ。袋の中から、赤いニューヨークアップルを取り出してまるカジリした。甘酸っぱいりんごの果汁が口の中に広がっていくと同時に、ようやく立ち上がる元気が出てきた。着替えをすませて近くにいた男性に声をかけて写真を撮ってもらった。どうだったと聞かれたので、 「とってもつらかった。体調が悪い。タイムも悪かった・・・。」と答えた。ドイツから走りに来たというその男性は、 「でも、君は完走したんだ。誇りを持って。僕も記録は悪かったけど完走した。誇りを持っている。」 と言ってくれた。なんだかその言葉を聞いたら涙が出てきた。
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