HOMENYCマラソン2004-Thank you NYC!
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  • 2004 ING NYC Marathon

    • スタート地点へ
      なんだか結局あまり眠れないまま朝になってしまう。あわただしく前日買っておいたパンとジュース、そしてマラソン当日の定番「文明堂のカステラ」を食べて 6:00少し前にアパートを出発。
      たあ坊さんと6:30に、マラソンバスの出発地点の図書館前で待ち合わせをしていた。
      早朝の地下鉄駅(66丁目駅)ではランナーが数名待っている。休日の早朝はなかなか地下鉄がこない。これなら走っていったほうが早かったかなと思いながらも、眠くてボーっとした頭でそのままホームに立ち続けけた。同じくマラソンに参加で地下鉄待ちの中国人の女性と少し話をする。彼女は、NYに住んでいて初めてNYCマラソンに出るとのこと。やっぱり友達と図書館前で待ち合わせをしているらしい。
      ようやく来た地下鉄に乗り込み、42丁目駅で下りてからは、周りはランナーばかり。図書館前に近づくとすでに大勢のランナーでごった返している。たあ坊さんのいる場所までなかなかたどり着けない。10分ほど遅刻でようやくたあ坊さんに会えた。それから並ぶ事約1時間。バスに乗り込んだのはもう7時30分頃だった。バスの中でもカステラをほおばり栄養補給。しかし、ここでまずい事に気がついた。
      日本から持っていったアミノバイタルのゼリーをホテルに忘れてきた事に気がつく。まずい!!スタート30分前に160キロカロリーを補給するのが定番なのに〜。ちょっと落ち込み。しょうがないので、カステラで直前までエネルギー補給することに変更。

     

    まだ薄暗い中バスのスタート場所図書館前へ向う。(上左) バス待ちのランナーの列(上右)
    スタート地点に到着。バスの中から見たのランナーの様子。(下)
     

    • スタート前のあたふた
      マラソンバスは結局のろのろと渋滞の中を1時間以上もかかってスタート地点に到着。今まで過去3回よりもかなりバスの数も多く、ごった返していたような気がする。
      まっちさんたちとの待ち合わせ場所に行っている暇はない。水をもらう場所でしょっとうろつき、次はパンをもらって荷物を持ってうろうろ。たあ坊さんとはここで別れ、私はオレンジの集合場所のトイレに並ぶ。毎回恒例のトイレ待ちの延々長蛇の列。到着が遅かったせいかスタート場所に並ぶ時間までの余裕が無い。トイレ待ちをしながらスタートできる格好に準備して、もらったパン(ベーグル)をほおばる。

     

    コーヒーと紅茶の配給場所の行列(左)、トイレ待ちの行列(奥の青いところが簡易テント)(右)
    ものすごい数のランナーが待機(下)

     

    • スタート
      ようやくトイレの順番が来て用を足したあとは、荷物を預けにUPSのトラックまで歩く。ここでまっちさんとhagidasさんにばったり。もうすでにランナーはスタート地点への列を作っている。 この時間からでは、だまっていては後ろの方にしか付けない。ペースメーカーの3:30の風船ははるか前方だ。もうこうなりゃしょうがない。覚悟を決めて混雑の中「Excuse me!!」の連発でなんとか、4時間目標くらいの列までもぐりこむ。ふぅ。なんだか落ち着かないスタート前だ。

    •  

    のろのろとスタート地点まで列が動き出す。この場所では、まだかなり後ろの方だ。少しずつ前に移動しながら3:30のペースリーダーを見つけたときはすでに、アメリカ国歌が流れている。



     

     

     

     

    さあ、いよいよスタート。
    スタートロスは1分くらい。ななめ前方には、3:30の風船を持ったペースリーダーがいる。ペースチームの参加者は背中に目標タイムを貼り付けている。私の前には3:30の時間を付けたランナーがたくさん。
    長いベラザノナローズブリッジを走りながら気がついた事。「今日はいままでよりもずっと暑い。頭の後ろから刺す日差しがとても強いなあ」 たぶん、この時の感覚が最後まで私を苦しめた原因のような気がした。

    風船を持ったペースリーダーは、あまり背が高くない スキンヘッドのお兄さん。お兄さんに、「リーダー!あんたについて行くからね〜!」と一応挨拶をしておく。最初は、どうもイーブンペースよりも遅い出だしで走っているような気がした。大勢のランナーでごった返しているせいもあるのだろう。橋を渡ったところあたりから、ペースが少しあがる 。これがたぶん1マイル8分のペースなんだろう。やっぱり体調悪いなと少しペースを落とす。

    《なんだか今日はおかしいな。3:30にはついていけない。なんとか3:40の前に、いるようにしよう》

    《暑い!頭の後ろの太陽が気になるなあ〜。どうして帽子かぶってこなかったんだろう。》

    《苦しいな。心拍数もずいぶん高いみたい。おまけに足が重い。どうしたんだろう》

    苦しいしかめ面のまましばらく走る。ここでふっと気がついた。つらい顔をして走っていたら余計に具合が悪くなる。そうだ、笑顔を忘れてた。気持ちを入替えて、沿道の声援に笑顔で答える。すると不思議に少し楽になった。
    ブルックリン。ここでの応援はとっても陽気。みんな大きな声で声援を送ってくれる。

    “Looking Good!” 

    “Good Smile!”

    《ありがとう!やっぱり笑顔で走らなくちゃね。》
     

    • Keep Running

      まだ半分もいかないうちに、どうやらエネルギー切れを起こしてきた。あとは我慢比べ。
      98年のNYCマラソンの時も、18マイル手前で突然ふらふらになってしまった経験がある。こんなときは少しずつ栄養分を補給しながら走っていくしかない。まだまだ、マラソンはこれからだ。
中間点通過。まだこれから半分もある。まるでフルマラソンを走った後のような気分だった。持っていったアミノバイタルを飲んで30分後の元気回復に期待する。
スタートのベラザノ橋の次の橋(Plaski Bridge)を渡って、クイーンズへ。
いくら息を吸っても酸素が回ってこないような感覚と、胃袋が空っぽでへとへとの感覚はいつまでたっても解消しない。
しらないうちに、ペースは少しずつ落ちている。時計を見る余裕もないし、見ようという気持ちも無くなっている。
でも、足は惰性のように走り続ける。

《最後まで走れるんだろうか。せっかくここまで走りに来たのに》

クイーンズを走り、いよいよクイーンズボローブリッジを渡ってマンハッタンに入る。マンハッタンに入ってあの怒涛のような声援を聞けば、なんとか走り続けられそうと、沿道の応援がない橋の上をひたすら走る。
横には、足の不自由な人も頑張って走っている。ここで止めるわけにはいかない。
気分転換に、橋の上で立ち止まってカメラを取り出した。マンハッタンの応援の人々を写して気持ちを取り直した。たくさんのランナーがすでにマンハッタンを走っている。


給水の水がかかってレンズが曇ってしまった

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1st.Aveを走る 
マンハッタンの、1st.アベニューに入るとやっぱり怒涛のような声援が響いている。
広い通りの左右は応援の人々がびっしり。そしてランナーははるか前方のイーストハーレムまで絶え間なく続いている。一体何人の人が私の前を走っているんだろうか?
どこまでも続く直線道路を18マイルのパワージェルをもらえるところまで頑張ろうと走った。
18マイル。甘ったるいパワージェルを手にして給水所へ急ぐ。水なしではとてもじゃないけど、飲めない甘さだ。でも、薬だと思って 我慢して口に入れた。
ここの給水所で再び休憩。止まって空気を吸ってもなんだか吸った気がしない。

 《やばいよな〜、この状態。ここから先まだまだあるし・・・》

   

 《こんなに大勢の人がランナーの為に一日ボランティアをやってくれてるんだ・・・。》

  《走るのを止めちゃだめだ。パワージェルも食べたしなんとか最後まで持たせなきゃ》

 どんどん北上して、イーストハーレムまでようやくたどり着いた。ほんとうに、ようやく・・・。
19マイル。あと7マイル(約11キロ)と少しだ。

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次は、ブロンクス〜ゴールまで

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