HOMENYCマラソン1997年-豪雨のマンハッタン
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  • 参加を決めてからエントリーまで

 1997年2月に、私は初めてニューヨークを訪れた。勤めていた会社のライフサイクル休暇を利用してのアメリカ一人旅だった。
 ニューヨークでは、前の年のニューヨークシティマラソンに参加してすばらしかったと、niftyのフォーラムに報告していた現地駐在のNYの亀さん(現在はらくださん−らくたジャーナル旅と温泉)に会い、ニューヨークの事、マラソンのことをいろいろ教えてもらった。
 滞在中にセントラルパークで開催された5キロのレースに参加し(Valentine5K)、アメリカの大会の雰囲気をちょっとだけ垣間見ることができたが、やっぱり11月のニューヨークシティマラソンに、なんとしても参加したいという気持ちになってしまった。
 団体行動が苦手なためツアー参加という選択肢は自分の中には無く、なんとしても個人でエントリーしようと、NYRRCのサイトを一生懸命読んだものだった。
 1997年の大会までは、エントリーは郵送の場合先着順だったので、まずエントリー用紙の申し込みをネットでして、申し込み解禁の日を今か今かと待ったのだった。
 たしか6月ころの暑くなってきた日に、何度も間違いがないかどうか確かめたエントリー用紙を、出勤前に念のためコンビニでコピーを取った後、郵便局へ立ち寄った。さて、封筒に封をしてと思ったら、あれっ!肝心のエントリー用紙がない!!がが〜ん!!元原稿はコンビニのコピー機に入れたままだった!!
 どうして大事なときにへまをやるのか先が思いやられるなあと、ちょっと悲しくなりながらタクシーでコンビにまで戻り、大事な用紙を手に今度は中央郵便局へ。無事郵送の手配は完了して、あとはエントリーの結果を待つだけとなった。(ちなみにこの日は、もちろん会社は遅刻です)
 毎日のようにNYRRCのサイトをチェックし続け、ようやくエントリーリストが発表になっていた時は、あせりながら自分の名前を探した。まるで試験の合格を見る学生のように。自分の名前を無事見つけて、ようやく一息つくことができた。

マラソン大会に参加する前のレポートは普通は練習記録だったりするのではないかと思うのですが、練習よりエントリーが大事という状況だったので、練習の思い出はほとんどありません^_^
 

  • 楽しい準備と不安

 エントリーが確定したので、あとは再び訪れるニューヨークのホテルの予約やあれこれ。
旅はこの事前の準備が一番楽しい。
 ただ1点不安な要素を抱えてた。それはナンバーカード引換証などの参加者用一式が待てど暮らせど来ない事。何度かメールで確認をしたが、あわてず待ての一点張り。といっても私の言いたいことが正確に相手に伝わっていたかは疑問だし、相手の返事を正確に理解していたかどうかも疑問。
 結局、なんの書類も持たず、航空券とパスポートを握り締めてニューヨークに向かった 。
 

  • ニューヨーク入りとレース前日まで

 前日までにナンバーカードとの引き換えは済ませなくてはならない。金曜日に到着した私は、まず受付会場に行ってみると、既に外から長蛇の列。みんな手に引換証を持っている。同じ場所に並んでいいのかどうかもよくわからず列の後ろについて、会場に入る。
 ボランティアの会場係りが何人もいるので、どうしたら良いのか聞いてみたが、みんな言うことが違ってさっぱりわからない。ナンバーカードF3420
 結局、自分の番まで順番待ちをした挙句、事情を話すと、トラブルコーナーのようなところを指差され、パスポートを提示して、ネットの自分のエントリーされた名前の載っている部分のコピーを見せて、なんとかナンバーカードを発行してもらった。
 今考えても、どうして何にも送られてこなかったのかはよくわからなけれど、個人エントリーで参加する日本人はめったにいなかったらしい。
 困ったことがあってもなんとかなるわと開き直った私だった。

前日は、私の40回目の誕生日。NYの亀さんが自宅で誕生パーティを開いてくれた。雨がずっと降っていて、この分だと明日の朝はどうなることやらと少し心配しながら眠りについた。(といっても時差ぼけであまり眠れなかった)

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  • いよいよレース〜スタートまで

 前置きが長くてすみません。私にとってのNYCマラソンは参加の準備から始まっているので、ご了承ください(^^♪
 朝は、早朝からスタート地点行きのバスが図書館の前から出ることになっている。まだ薄暗いうちからホテルを出て、バスの乗り場まで歩く。 何十台ものバスが待機していて、次々とランナーがバスに乗せられていった。
 バスの中は、スタート前の興奮でいろんな言葉が飛びかっている。スタート地点までは、バスで移動してもかなりの距離に思えてしまう。見慣れない光景なのでなおさら遠く感じたのもしれない。スタート前のこうめ荷物預かり場所の写真
 スタート地点に到着すると、ナンバーカードを確認して、広い芝生の広場でスタート時間まで時間つぶし。準備運動のようなエアロビクスダンスのプログラムがあったり、日曜日なので礼拝があったりとお祭り会場のような雰囲気が漂っている。前日の雨のせいで、地面は湿っぽい。飲み物や食べ物をとってお腹を満たしてから、トイレへ。これがまたかなりの行列で、どんどんスタート時間は迫ってくる。スタートの並び順はナンバーカードで一応分けられているけれど、この年はそんな規則はないも同然の無秩序な状態だった。ようやく適当なところへ陣取りスタートを待つ。
 雨に備えてビニール袋に穴をあけたものをかぶり、その上には防寒用の捨ててもよいトレーナーを重ねる。スタート前にはその衣類を脱ぎ捨てて走る予定。なんでもその衣類は集められて、寄付されるようだ。97年大会スタートの様子(橋の上)
 ヘリコプターの音が頭上でうるさく鳴り響く中、スタートの号砲がなった(はず)。いつのまにか、ぞろぞろと前が進みだした。

右の写真は、スタート地点のベラザノナローズブリッジを渡るランナー

  • スタート〜ゴールまで

いよいよスタートして、私の始めてのNYCマラソンの42.195キロが始まった。
混雑した橋を渡り、ブルックリンの街に入る。マンハッタンとは違った雰囲気がただよう街並を楽しみながら走っていった。
沿道には応援の人々。バンドの演奏や部屋の窓を開けてボリュームいっぱいに音楽を流してくれる人など、みんな自分の出来るスタイルで応援を楽しんでいる。義務的な応援ではなく、応援を楽しんでいるという表現がぴったりあうような気がする。年に一度ランナーのために、道路を明け渡してくれ、ついでに自分も楽しんでしまおうという雰囲気が漂っている。ここが日本のマラソン大会の応援風景とちょっと違うところかなと思う。何しろ、延々と続くランナーをずっと見てくれているわけだから。
途中から、心配していた雨が降り出した。けれど走っているときは雨はそれほど気にならない。けれどそれも程度の問題。
クイーンズからクイーンズボローブリッジを渡ってマンハッタンに入ると、沿道にはものすごい数の応援の人々。地響きが聞こえてきそうな具合だ。それに加えて、雨が強くなり雷まで鳴ってきた。こうなりゃもうやけくそ。ゴロゴローとなる雷の音に合わせて、オーと叫びながら走り続けた。いつもは中だるみする25キロから30キロ地点までが、マンハッタンの1st.Aveを北上するあたりなので、あっという間に過ぎてしまう。エイドにある、食べ物や飲み物をもらいながらブロンクスに入る。
 ブロンクスでは、黒人のおじちゃんがよれよれ立って応援してくれている。なんかうれしい。こうやってニューヨークのすべての区を走ってみると、観光だけではわからなかった街の様子を垣間見ることができてとても興味深い。
 再びマンハッタンに入り、セントラルパークの中を通っていよいよゴールが近づく。なんだかあっという間の42キロだった。最後に気合を入れてゴールまでがんばる。
 ゴール! タイムは、4:12:49 。ほぼキロ6分のイーブンペース。この時の自分にとっては上出来のタイムだった。
 ゴールに入ると、完走メダルと女性には赤いバラを1本。寒さよけの銀色シートをかぶせてもらって、祝福を受ける。
 これで私のNYCマラソン初レースは無事終了。翌年のレース開催日が自分の誕生日だと知り、来年もと心に決めた。メダルとバラを持って
 翌日、ゴールでもらった赤いバラを手にメダルを首からさげて帰りの飛行機に乗り込んだ。

1998年11月1日 NYCマラソン1998年 「誕生日のレースは苦い思い出」

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