HOMENYCマラソン1998-誕生日のレースは苦い想い出
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  • 1998年大会のエントリーは?

 前年の大会から帰ってすぐ、翌年のレースのエントリーが妙に気になる。なんと1998年は今までと方法が変わって、抽選になってしまった。これでは、いくら早くから申し込んでも出られるという確証はない。しかし、まずは抽選に申し込まなくては何も始まらないと早速エントリーのための抽選を申しこんだ。
  申し込んでから結果の発表までは全く落ち着かない。当選する確率はかなり低いはずなので、落選したときの押さえももちろんしておかなくてはならない。
 日本人がツアーに参加せずに、個人でエントリーするのは至難の業か?あっさりあきらめてツアーに申し込むっていうのが妥当な線だけど・・・。しかし・・・。

  • やっぱり・・・、でも。

  7月に入って、抽選の結果がWEBに掲載された。思った通りの落選。さあどうしよう。日本からのツアーの代理店に片端から電話をして事情を話してみた。
 やはり、どの代理店もあまり良い返事はしてくれない。ツアーに参加していただければ出場できますとの返事が多い。リストを手に出張の移動の合間などにも電話をかけまくった。 
「航空券はそちらから買いますので、エントリーをお願いします」と頼み込んで受け入れてくれたところが一つ。担当者の方もランナーで前の年の豪雨の大会も走ったとの事。どうやらその方はサブ3ランナーらしく、伴走を受け持ったらしい。ようやくホッとすることができた。
  あとは自分の誕生日の演出が残るだけ。せっかく誕生日にフルマラソンを走るのだから何か記念に残ることをしようといろいろ考えた結果、背中に「今日は私の誕生日。ハッピーバースディこうめ」(Today is my birthday.Happy birthday Koume.)と書いた布をTシャツに貼り付けることにした。

  • 誕生日おめでとう!

  いよいよ2回目のNYCマラソンに向けて出発の日が来た。今年はFRUNの仲間も数名参加することになっていて、現地で落ち合うことになっていた。レースの当日は、昨年と違って雨の心配もなさそう。去年と同様にバスに乗ってスタート地点へ向かう。今年の大会はどんな結果になるのだろうと期待に胸を膨らませていた。ナンバーカードF2126
   集合時間が来て、去年と同様にTシャツの上にはトレーナーを着込んでスタート場所に向かう。いよいよスタートの時間。着ていたトレーナーを脱ぎ捨てた途端、後ろの人から声がかかった。「Happy birthday Koume!」早速、背中の効果が現れた。
 一度走ったコースは慣れているせいかとても走りやすい。とても快調なペースでどんどん進んでいった。体が軽い。沿道の応援にも余裕の笑顔で答える。時折、後ろから「誕生日おめでとう」の声がかかる。こんなに大勢の人に誕生日を祝ってもらったのは初めてだ。

  • 初めてのシャリばて

 去年は豪雨の中渡ったクイーンズボローブリッジを渡るころから、自分の体の変調に気がついた。だんだんフラフラしていく。大観衆の声援もだんだん自分の耳からは遠のいていった。でも走ることを辞めるわけにはいかない。誕生日にNYCマラソンを完走したくて1年間いろいろ頑張ってきたのだ。
 どうやら低血糖状態に陥ってしまったらしい。いわゆるシャリバテというものだ。しょうがないのでエイドステーションごとに休憩して、甘いものをもらったり飲み物を飲んだりして、走りつづけた。35キロ過ぎのエイドでは、たまらず胃の中のものを吐いてしまった(ほとんど何もなかったけれど)。
同じエイドで具合が悪く休憩していた男性もその日が誕生日との事。お互い具合が悪い中、誕生日を祝いあった。
  最後の5キロ位はセントラルパークの中を走るのだが、恐ろしいくらい長い距離に感じた。なんとかゴールに入った時は、本当にフラフラ状態。すぐボランティアに抱えられて、救護所へ連れて行かれた。日本語をわかる人が来てくれて状態を聞かれ、ドクターがやってきた。私の脈をはかり様子を見ていったが、少し休んでいればよくなるとのことだった。暖かいホットチョコレートを飲んで少し元気が出てきた私は、仲間の待つ集合場所へ急いだ。そこには既にゴールしていた仲間が待っていてくれた。

  • 誕生日のプレゼントは

 ホテルに帰りしばらくぼろ雑巾のように眠ってしまった。一眠りしたせいか、意外に具合が良い。これで仲間と一緒の完走パーティでおいしいイタリアンを食べられる!とうれしくなった。
 翌朝、ティファニーへ出かけ、完走記念のクリスタルのりんごのペーパーウェイトを注文した。このペーパーウェイトは友人からのプレゼント。出来上がりを楽しみに、日本へ帰国した。フラフラでゴールした2回目のニューヨークシティマラソンは忘れられない思い出になった。

 しばらくして、アメリカのティファニーからの荷物が届いた。明けてみると、外の冷気のせいですっかり曇ってしまったりんごのペーパーウェイトが、水色の箱の中にひっそり入っていた。

記録は、3時間58分00秒。シャリばてがなかったらもっと。。

1999年11月7日 NYCマラソン1999 「3度目はボストンへの切符」

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