外遊びしよう! / 写真歳時記 / 別館「こうめの部屋」
グラウンドゼロへ アパートでシャワーを浴びてから、今回の旅で一番訪れたかった場所の「グラウンドゼロ」へ出かけた。2001年9月11日まで、ニューヨークのロワーマンハッタンにそびえたっていたワールドトレードセンターの跡地だ。 この2つのタワーには、1999年のNYCマラソン出場の時と、2001年の正月に訪れたときの2回てっぺんまで上った事がある。そこから眺めるニューヨークの街の素晴らしさを今でも思い出す事ができる。 ビルといっても一つの街になっているような巨大なものだった。 あの日以来、世界がなんだかおかしな方向に向っているような気がしてしょうがない。 あそこが、現在どんな風になってしまったのかどうしても自分の目で確かめたかったのだ。 すでにそこには新しい建物の建築が始まっていて、新しい駅もできている。 そして、「Tragedy」という題名の本を売っていたり、新しい観光名所のひとつのような感じになっていた。それとは対照的に、その時の犠牲者の名前の一覧や、事故現場の写真も貼られていて、決して忘れる事はできない事柄なんだということが伝わってきた。 今回のNYCマラソンでは平和へのメッセージを何かアピールしながら走りたいと思っていた。けれども直前までどういう方法がいいのかわからないまま出かけてしまった。 単なる旅行者の視点でしか見たことがないニューヨークの街。今のアメリカの進んでいく方向がおかしいという感覚はあっても、じゃあ何が正解かなんて答えられない自分だし。 背中にメッセージを書いている人を何人も見たり、イラク戦争で足を失った人が車椅子でNYCマラソンを完走した話が翌日のニューヨークタイムズに載っていたり。 走りながらランナーそれぞれの心の中では、きっと世界中が、このマラソンの1日のような平和な日々が続く事を祈っている人が多かったのではないかと感じた。
完走おめでとう! この日のディナーは完走パーティ。まっちさんご夫妻、たあ坊さん、そしてMAYUMIさんと私の5名でシーフードとステーキに舌鼓を打った。このレストランでは、他にも何組も完走メダルを首からさげて家族と祝杯をあげている人がいた。すばらしい秋晴れの一日は、26.2マイルのニューヨークの街のランニングは、走った人も応援した人もそしてボランティアをした人にとっても、忘れられない思い出になったことだろう。
みんなありがとう!感謝します。 NYCマラソンの抽選に幸運にも当選して4回目のニューヨークシティマラソンを走ることができた。 タイムは思っていたものではなかったけれど、支えてくれた多くのボランティアの人たち、励ましの言葉をかけてくれた沿道のひとたち、世界中から集まったランナーたちに支えられての完走だった。 人種の違いや言葉の違い、宗教の違いを乗り越えて、26.2マイル(42..195キロ)を走りにニューヨークの街にやってきたランナーたちみんなが、世界の平和を願っていると思いたい。 翌朝のニューヨークタイムズのトップは、アメリカ軍がファルージャ病院を占拠し医者が後手でロープで縛られている写真が載っている。そしてマラソン特集ページには、スタテン島にかからベラザノなローズブリッジを走るトップランナーと橋の下を通過しようとしている船のコントラストが美しい写真だ。 戦争と100カ国からランナーが集まるNYCマラソン。なんという対比なんだろうと思った。 ランナーの中には、夫がファルージャに行っているという女性もいたようだ。 ニューヨークタイムズに載っていたあるランナーの言った言葉。 Sure, everything hurts. But that's just part of the marathon's charm. 本当にマラソン走った後は、もうだめーっていうほどつらいけど、そんな風になるのもまたマラソンの魅力の一つなのかもしれない。 でも、マラソンでなら、こんな風に思えるけれど・・・・。
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