2000年にサロマ湖で初めてウルトラマラソンを走ってから5年。今年は、地元がコースになっているくりやま100キロウルトラ遠足を走ることになった。
サロマの時は、完走した後自分では思っていなかったダメージが体を覆っていて、8月の北海道マラソンでは、10キロちょっと走って自らリタイヤしてしまった思い出がある。
今回は、地元のコースだし、制限時間も緩い(16時間)。途中関門はなし。それなら久しぶりの100キロもなんとかなるだろうとエントリーをしたのだった。
走り終わってもダメージが長く残らない走りをしようと思っていた。
初ウルトラのサロマの時は、超長距離の練習(70キロ)をしていたけれど、今回は40キロを超える練習は洞爺湖のフルマラソンのみ。それ以外は、いつものフルマラソン用の練習の長い距離を時々走る程度のものだった。
5年前と比較して、マイナスポイントが、もう一つ。年齢が5歳も増えている。
対してプラスポイントは、大会前数ヶ月の走行距離。前は、せいぜい月150キロ。これでサロマを完走してるのが不思議なくらいの練習不足だった。今回は、4月、5月、6月の合計で780キロ。他のウルトラランナーに比べるととても少ないけれど、私の足では、このくらいが無理なく故障無くいられる距離なのだ。
それともう一つの大きなプラスポイント。それは地元であるという事だ。コースの一部はいつも走っている慣れた道のり。アップダウンがきつくて大変なコースだけれど、それも慣れればあまり苦ではない。
あとは、リラックスしてスタートに立てれば大丈夫という不思議な自信があった。
前日の夕方、栗山町の駅に隣接した「Eki」で前夜祭が開催された。サロマに比べて参加人数が少ないせいか、とても和やかな雰囲気だ。地元のメロンや野菜が出されていて本州からきた参加者を喜ばせていた。
ビンゴ大会もあって、多くの人に何かしらの賞品が当たる。私も後半になってようやくノースリーブシャツをゲット。帰りは、Kuriさんに家まで送ってもらった。
翌朝は、午前2時起床。あまり寝ていない。Kuri号に乗せてもらって会場へ。(Kuriさん大変お世話になりました)
だんだんと集まってくるランナーの中に、伴走仲間のFさんがご主人と一緒に現れた。名簿を見て、え〜っと思っていたのだけれど、去年も参加して途中でリタイヤされたらしい。思いがけず知ってる顔に会えてうれしい。
うろうろしていると、「こうめさんですか?」と尋ねてくる人がいる。ゼッケンに「こうめ」という名前も記入しておいて正解。なんと、この春まで町内に住んでい
た方だ。今まで会った事はなかったのだけれど、こんなところでご対面になるとは。
そしてボランティアの専門学校生たちの中にも知ってる顔を見つけて記念写真。
75キロの15番エイドを担当する彼女たちと、再会を約束して、スタートの準備を始めた。
中間点用の荷物を分けたり、バームやアミノバイタルゼリーを飲んだりしているうちに、あっという間にスタート時間がやってきた。
さあ、これから長い長い「大人の遠足」(Kuriさん命名)の始まり。サロマと違って途中関門がないこの大会の良さを生かして、のんびりゆったり、でもできれば歩かずに100キロ走って、ここに帰ってこようと決めた。
ウルトラのスタートらしくのんびりゆっくり始まった100キロの遠足。幸いに天候は霧模様の曇りで涼しい。でも、こんな時この辺りは決まって昼間は暑くなる。最初はKuriさんと一緒に走っていたのだけれど、5キロのエイドで私は小休憩。(どうやらKuriさん、ここですでに私が大問題発生か?とブログに書いたらしい・・・)
ゆっくりペースは気持ちいい。のんびり行こう。遠足だから。
15キロでお決まりの大休憩。ラップもとらずに淡々と走る。スタート前にたくさん食べたのでなんだか胃が重い。でもその内消化されるだろうからと気にせずに走っていたのだが、25キロのそうめんには手が出ず。
ここでもう一度トイレ休憩。
30キロ手前で「栗山ダム」の周囲のダート道に入る。熊鈴を持たされて走る場所だ。こんな場所を走るのは、いつもキャンプ場の周りのトレイルランで慣れている。ダート道も気にならない。
この辺りからだんだん暑くなってきた。
王子の森の気持ちのいい森の中で、Kuriさんに追いつく。5キロのトイレ休憩で別れて以来だ。この後、日差しが強くなる中、シャトレーゼゴルフ場近くの峠を超える。暑い・・・!
峠を下りたところに、栗山町の助役さんの私設エイドがあり、しばし休憩。なんでもその辺りは里山になっていて町民が管理しているらしい。素敵なログハウスやバイオトイレが設置してある。せっかっくだからバイ
オトイレを見学がてら拝借。
もうすぐ中間点の休憩所という所で、胃が気持ち悪くなってきて我慢できずに、道端で吐く。少し楽になったが、まだ胃の中の充満感がとれない。この状態が続くとやばいなと思った。
栗山駅の中間点休憩所では、まずトイレに行って胃の中にあるものを全部吐き出した。暑さと寝不足とスタート前の食べすぎで胃がやられてしまっていたらしい。一応、気持ちはリセットしたので、ゼリーやらでエネルギー補給。エイドにあったうどんは食べられず。おにぎりの海苔をはがして半分だけ口に入れる。なんとか食べられたので、少しホッとする。
時間はたっぷりあるし、あと半分。のんびり走っていれば胃もだませそうなので大丈夫だなと思った。足のダメージはほとんど感じない。
追記(8月22日):楽走412のよっしぃさんが、中間点で応援してくれた。一緒に記念撮影。
51.6キロ地点の、北長沼水郷公園の直売所前のエイドでは、暑いのに着ぐるみ来た若者が飲み物を持って出迎えてくれる。いや、お疲れさま!ここでは、楽しみにしていたソフトクリームを買いに直売所の中へ。
200円也を払ってソフトクリームを購入。ここの販売を担当しているのも知っている人だった。「今、100キロ走っている最中で・・・」と言ったらちょっとびっくりしてた。ソフトは冷たくて甘くてうまい!そのまま手に持ってスタート。ここから川沿いの道は暑くて湿度があってもわっとしていてたまんない!時折吹く風だけがありがたい。南幌町を、暑い暑いとへ〜こら走っていると、こあきさんからメール。バイクの練習で近くに来てるので、ランチを一緒にどうかという誘い。今100キロ走っているところと返事をしたら、どこかで追いついてくれるとの事。ちょっと気分転換になる。
このあたりで年配の男性がよれよれ走っているので声をかけると、喉が渇いたとの事。私と同じで胃も弱っていて時々吐きながら走っているらしい。手持ちの飲み物を少し分けてあげる。
途中で、URC(ウルトラランナーズクラブ=Kuriさん所属のクラブ)の私設エイドに助けられる。この後もURCの方のエイドには何度となく助けてもらった。やはり、ウルトラの厳しさを知っている人たちのツボをつかんだエイドはありがたい。
南幌と長沼の境界の橋を渡ってから、急に元気が出てきた。やはり知ってる道は気分が違う。ポツン、ポツンと前にいる人を追い越しながら進んでいくと、さきほどの「こあきさん」が車でやってきた。
仲野農園前のエイドでは、おいしいりんごジュースとアイスキャンディーをお腹に入れて気分転換。こあきさんとは、途中、一緒に走ったりしながら、後半の難所の一つ長官山に入る。ここは、山登り。かなりハードな道のりだけれど、ここも馴染みの山なので走り続けることができる。思ったほど疲れずに上りを終えて、下りへ。足を痛めないように細心の注意を払いながら下って、15番エイド(74.6キロ)へ。スタートで写真を撮った彼女たちと再会。
ここでも、ゆっくり休憩を取る。このあたりまでくると、エイドだけが楽しみで、ゴールを目指すというよりは、次のエイドを目指すというほうが当たっている。
さあ、次の楽しみは、馬追の名水で待っているかずきさんのところへ行く事だ。途中で、激励のメールが
かずきさんから入る。名水へのずっと続く登り道のの先っぽに人が見える。かずきさんとはるかさんだ。大きく手を振って走る。お待たせ!ようやくたどりついた。リクエストしていたアンパンをむさぼるように食べる。これを楽しみにしていたのだ。
しっかり食べたし、次の峠も淡々と走る。この辺りは何度も走っているコースだから、とても気分が楽だ。あと20キロ弱だし。
87キロくらいの由仁町の古山貯水池キャンプ場では、前日からキャンプをしていたキャンプ仲間のアサさん夫妻が待ってくれている。こうやって知り合いが待ってくれていると、自然と足取りも軽くなるから不思議なものだ。ここでもアンパン食べて、さあ最後の一走り。
90キロ過ぎの直線のアップダウンを超えればもうゴールはすぐそこだ。日が西に傾いてきて暑さも和らいできた。最後のエイドではゆっくり座って休憩をして、いよいよ再び栗山の市街へ。
商店街では、どこかの店のご主人が信号まで伴走してくれた。公民館の敷地に入ったところで主催の海宝さんが手を出して待っていてくれた。お帰りなさいと握手。
「楽しかったですぅ〜。」と言うのが、私の口から出た言葉。
暑い中、ものすごいアップダウンのあるダート道も含まれたコースで、胃の調子も悪くて・・・とタフな100キロだった割には、体も気持ちもダメージなく、帰ってくる事ができたのは、「大人の遠足」を楽しんで走ったからではないかと思う。
5年前のサロマ湖で、100キロ走ったときとは全く違った気分の100キロウルトラマラソンだった。
ゴールの時も、ストップウォッチを押す事すら忘れていたので、タイムは不明(13時間45分くらい)
追記:記録一覧表が送られてきて、完走タイムは、13時間39分57秒 でした。
エントリー235名 出走者 222名 完走者 156名(完走率70.2%) 2005/7/21追記
支えてくれたみなさんどうもありがとう。 |