HOME行き止まりの新世界「YAMANONKAカムイミンタラ」
外遊びしよう! / 写真歳時記 / 別館「こうめの部屋」
 

HOME > キャンプに行こう > 外遊びレポート2005 > YAMANONAKAカムイミンタラ
  • 2005年11月13日(日)〜14日(月)
    1ヶ月に1度の連休がやってきました。この季節になると休日の前日から出かけても明るい内に到着できる場所は限られていて、ましてや営業しているキャンプ場も数えるほどしかありません。そんな状況でも諦めずにキャンプに行こうとしている私たちはちょっと変人?かもしれませんが・・・。
    日曜日の未明まだ真っ暗な中道東へ向って出発しました。


天気予報によると、十勝地方は晴れ。しかし、峠はたぶん雪が降っているだろうと思っていた。やっぱり・・・。
日勝峠は雪。前が良く見えない。中には夏タイヤのトラックもいたり、ちょっとひやひやする場面もあったけれど、無事峠を降りて、十勝へ入る。
なぜか、道東へ向う峠を超えるときは、わくわくする。広い十勝の大地を見るとなんだかうれしくなってしまうのだ。
東へ向うにつれ、そらは明るくなってきた。
やっぱりこちらは、夜明けが早い。

 

帯広の手前で前方が真っ赤になってきた。今日も良い天気。
思わず車の中から朝日に向って写真を撮った。ボケボケだけど・・・。
日曜日の朝は、車も少なく静かだ。
スムーズな車の流れが続いて、あっという間に帯広を抜けて、東へ。

 

浦幌町で朝日が上る。綺麗だ〜。
大地に上る朝日を眺めて、更に東へ。
この調子で行くと予定よりずいぶんと早く到着しそうだ。

 

太平洋を右に見ながら音別町に入って、山の方へどんどん向って20K。道路の行き止まりに小さな古い木造の校舎があった。YAMANONKAカムイミンタラの看板が。まだ時間は7時過ぎ。少し早すぎたので、奥の林道を探検。9月の台風の時の大雨の影響がそこかしこに見える。熊の雰囲気もただよう林道を車で探検して8時過ぎにキャンプ場に戻った。
 
管理人さんが校舎から出てきて受付を済ませて、説明を聞いた。もう冬の営業になっているので、炊事場は校舎の中のものを利用する事とトイレも校舎の中を使ってくださいと言われた。
 
校舎の中には、薪ストーブがあって、自由に休む事ができる。
そして本がいっぱい。
宿泊希望者は、泊まれる部屋もあるようだ。
古くて、小さい校舎はなんだか懐かしい雰囲気だ。
牧草が生えたサイトは、草で一応区切られている。
当然、他に利用者はいないので、好きな場所を選ぶ事ができた。
なるべくお日様があたるところがいいなと思ったけれど、この季節は後ろの山の陰になってしまうとの事。奥の方に設営。


この日は強風が吹き荒れていて、テントは風でゆらゆら。
のんびりだから、テントの中で薪ストーブに当たって・・・でもいいや。

 

  
設営が終わって朝かららお昼の仕込み。ピザ焼きもストーブの上だ。
 

私は管理棟の霧里小学校の校舎で、しばしのんびり。管理人さんと少し話をした。ここにいた愛犬マッキーは残念ながら昨年無くなってしまったとの事。8年間一緒に暮らした愛犬の事を思い出したのか、 マッキーの事を話した時の管理人さんはとても寂しそうな顔をされていたのが印象的だった。
  
夕方からは、テントから見える月を眺めながら、本を読みながら、のんびり玉ねぎを炒める。
  
オニオングラタンスープとラムを焼いて、ジャガバターで晩御飯。こんな食事もストーブが便利。

周りには街灯が全く無いけれど、月明かりが明るくて影がくっきり出るくらいの夜。管理棟にある本を開いて、置いてあったたくさんのCDの中から私が選んだのが、ドヴォルザークの「新世界」。
中学校の時、下校の時間にいつも第2楽章がかかっていて、私にとっては学校と「新世界」なんだかぴったりくる組み合わせだった。
そして、みかんを持って現れた管理人さんの話を色々と伺った。
信州で、北の国からさながらに開拓して作った宿の話や、行き止まりの場所をあちこち探してたどり着いた、ここ「霧里小学校」の話。
すると奥様も顔を出して話に加わった。
廃屋を自分で改装する日々、その中で大きな音で「新世界」を聞いていた管理人さんと奥様の出会いの頃の話。
旅人が置いていったCDの中から選んだ一枚が、管理人夫妻の思い出の曲だった。
管理棟の薪ストーブにあたりながら話を聞いた私たちは、テントに戻って、朝までぐっすり眠った。




少しだけ冷え込んだ朝。早速薪ストーブを付けて朝日が上るのを待っていた。東の空には雲があって、久しぶりに見る朝焼けが刻々と景色を変えていく。
キャンプ場の横を流れる霧里川の支流は、周りの木々の葉っぱもすっかり落ちてすでに冬の佇まいだ。
朝食は、kenjiが作った残りご飯のチャーハンで。これまたストーブの上のクッキング。
薪ストーブがあると、燃料代が節約になってありがたい。このキャンプ場は、薪が無料で頂けるのだ。
 
その後は、kenjiはのんびり。私は、恒例のランニング。
煙突から煙がもわ〜ん。
シェルの中は、とても暖かい。静かな初冬の一日だ。
なんだか懐かしい雰囲気のこの場所は、都会の人にとってはオアシスになるだろう。
霧里の集落の一番奥のキャンプ場。手前の酪農家は後継者がなく、すでに廃屋になっている。
この校舎と校庭に子供の声が響いていたのはいつ頃までだろう。



お昼は、ターツァイとバラ肉の中華丼。
残り物の食材ですが・・・。
お昼ごはんを食べたら、そろそろ帰り支度の時間。


ゆっくり撤収して、YAMANONAKAのキャンプ場を後にした。YAMANONAKAの行き止まり。
廃校になった校舎とその周りのキャンプ場は、世知辛い世の中から離れた「新世界」だった。


帰り道、豊頃町の樹齢140年の大きなハルニレの木を見物。



遠くから見るとあまり大きさは感じないけれど、そばまで歩いていくと、とっても大きな木だった。

 

 

 
夕日に赤く染まった山を眺めながら、道東にお別れをした。
 

ページTOPへ戻る

[HOME] [2004年キャンプの記録] [2005年キャンプの記録]