1979年に世界で初めての女子だけのフルマラソンの大会として開催された東京国際女子マラソンもとうとう2008年の第30回大会で終了することになったというニュースが入ってきたのは、2007年のレースが終って1ヵ月後の事だった。とうとう終ってしまう・・・。とても寂しかった。
私にとっての東京国際女子マラソンは、特別な意味を持っている。 ランニングシューズを履いて、家の周囲を走り初め、5キロや10キロのレースに出るようになっていた私は、30年前の第1回目の東京国際女子マラソンの中継を、テレビの前で正座して見ていた。 当時は、女性が走ることが少しずつ普及してきた頃で、女性だけのロードレースもいくつか開催されていた。でも、その距離は5キロ10キロが多く、女性がフルマラソンを走れるとは思ってもみなかった時代だった。 テレビのブラウン管の中で、優勝したジョイス・スミス選手が白いハンカチをしっかりと握りながら、力強い足取りで東京の街を駆け抜けていく姿はとても眩しく、鳥肌が立つほどだった。 女性でもフルマラソンを走ることができるんだ。東京の街を走る女性たち・・・それは私の憧れだった。この大会が開催されてから、女性が走るという事が少しずつ浸透してきたように思う。
その後、全く運動経験のない私でも、フルマラソンを走ることができるようになり、それなりに記録も伸びてきた。
ようやく4時間を切るタイムで走れるようになって、4時間が関門の北海道マラソンにエントリーしたのが10年前の事。3時間40分を切る記録が出て、3時間30分を意識するようになってからもうまく行かないこと多数。何年もの間、私の前には3時間30分の大きな壁が立ちはだかっていた。
そんな時期に、憧れだった東京国際女子マラソンに市民の部が出来て3時間30分を切れば参加することが可能だと聞いたのだった。
そして2005年の東京国際女子マラソンの日がやってきて、いつものようにテレビの前で憧れの大会を眺めていた。チームQとしての初レースでQちゃん(高橋尚子選手)が見事復活し、ゴール後のインタビューで、応援してくれた人々に呼びかけられた言葉は私の心に染みわたった。
「どうか夢を持って一日を過ごして欲しい。」
「一日だけの目標でも三年後の目標でも、何でも目標を持つことで、一日が充実すると思います。」
「小学生や中学生はもちろん・・・中高年の皆さんにも二十四時間という時間は平等に与えられたチャンスの時間です。」
「二度と来ない、この一日の時間を精一杯充実した時間にしてください。」
テレビ中継が終って、思わず外に走りに出た私にとって、東京国際女子マラソンを走ることが憧れから「夢」に変わった日だった。
そして、翌年の洞爺湖マラソンで初めて3時間27分で走って、2006年の大会の市民の部に参加できる事になった時、私にとっての「東京国際女子マラソンで走ること」は、「夢」から「目標」になった。
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