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  • 第1章 -  再びあの幸せな42キロの舞台へ 

 2006年11月19日、憧れの東京国際女子マラソンを自己ベストで走った後、フルマラソンで記録を狙うのはもうこれでおしまいにして、あとはのんびり気楽に走ったり、ウルトラを走ったり・・・のはずだった。
 今年はのんびりのつもりが、なぜか気持ちは再び11月の東京国際女子マラソンへ。だって、いつ終わりになるかわからない大会だったから。そして、2006年の大会の雰囲気があまりにも素晴らしくて再びあの中に自分を置いてみたいという気持ちがいっぱいだったから。

 去年の怒涛のようなフルマラソン3ヶ月おきに3回という状況は回避したい。そんな守りの姿勢から、今年はフルマラソンは北海道マラソンと東京国際女子マラソンの二つに絞った。あとはすべて最後の東京のための調整のレースという位置づけとなった。 
 自己ベスト続出の 出来すぎの2006年と比べて、今年の結果は散々。調整レースとは言え、どのレースもあまり納得の行くものではなかった。そしてもう一つのメインレースの北海道マラソンでは、無念のリタイヤ。9月の初旬にフルマラソンを走って11月に向けて足を慣らしておきたかったのに、それも叶わなかった。
 そんな状態で果たして東京のレースをきちんと完走できるんだろうか?と実は不安がいっぱいの状態での最終調整だった。
 
 今年は、フルマラソン一つも走ってない。ハーフのレースは、1時間40分すら切ってない。どうも体調もイマイチ。去年と比べて、練習時間は減っている。何しろ1日の時間に余裕がない。去年の自分に勝っているところは何??・・・・マイナス要因挙げればキリがなく・・・・・

都会の人が練習会で激走した話を聞いて「やっぱり都会はいいなあ」と指をくわえたり、仲間同士で楽しくあちこちに走りに行った話や走ってうまいもの 食べたというを話を聞いて「いいなあ。行きたいなあ。でもなあ。今年は我慢。楽しく走って、苦しい練習もしてと両方やる時間はない。」と自分を納得させたり。

でも、あの幸せな42キロをもう一度味わいたい。そのためだったら、苦しくても我慢できる。なんとか体調万全で、再び国立競技場のスタートライン立ちたい。その思いは強かった。

申し込みをして、いよいよあと1ヶ月の頃、定員を上回る応募があって、足切りが行われた事を知った。自分のところには「出場決定のご案内」が届いたが、155名のランナーがスタートラインに立つことを許されなかった事を知った。その中には、この大会への参加を夢見て、市民の部3時間30分の参加資格をクリアして練習に励んでいた仲間も何人かいた。今年は持ちタイムの重みをずしりと感じた出場決定だった。
国際の部148名、市民の部447名合計595名が参加となった。

最後にきっちり走れなければ、今年一年は何だったのかわからない。最後のレースは晴れ舞台。
本番は、華麗に走って終わりたい。完走できないなんて事は一瞬たりとも考えないでおこうと決めた。

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