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  • 憧れの東京国際女子マラソン

国際マラソンなんて雲の上のレースと思っていた。第一回東京国際女子マラソンの様子は今でもはっきり覚えている。
あれは私が走り始めて数年たった時だった。先頭を走るイギリスのジョイススミスが、ハンカチを手に淡々と走る姿はとても眩しかった。女性もフルマラソンが走れるんだ。新鮮な驚きと憧れが私の頭の中をぐるぐる回っていた。
それから毎年テレビを見るのを楽しみにしていた。但し、いつか私もなんて事はこれっぽちも思っていなかった。
30年弱たって、年齢も20歳そこそこの私から50歳に手が届く私になったけれど、東京国際女子マラソンが私の憧れである事に代わりはなかった。

申し込みを済ませて出場承認証が来るまでが長かった。
この大会に参加するには、市民の部はフルマラソンで3時間30分以内の記録を持っていることが必要で、陸連登録者は北海道陸連に記録の承認をしてもらう必要がある。普通の大会と申し込み方法も全く違う事で、この大会が国際大会なんだなあと実感する事ができた。市民の部の450名が限度で、それを超えた場合は主催者が選考、決定するとなっている。だから申し込みはしたけれど、本当に出場できるのかどうか、少し不安だった。
既に航空券も予約し着々と練習もしているのに、まだ来ない・・・。11月の初めにWEBでようやく自分の名前を確認して参加が現実味を帯びてきて、気持ちが引き締まってきた。
11月に50歳になって、走りはじめて約30年。節目の時の国際レースだ。25キロまで5キロ毎25分の関門 。ゴールも3時間35分でレース打ち切りという厳しい条件に不安はあった。でも、今年になってからの洞爺湖、北海道とどちらのレースもこの関門に引っかかるようなラップはなかった。それが唯一の安心材料だった。自分を信じて走るしかないそんな気持ちを持って、レースの日はどんどん近づいてきた。


  • さあ、本番の朝

前日の朝、東京へ向かった。到着した時は温かく日ざしもあったのに、国立競技場に受付に行った頃は、すっかり曇りになって翌日の雨を予想させるような空模様だった。

 

受付では、ナンバーが5枚(ウェア用前後、トレーニングウェア用、荷物用)、荷物を入れる大きなビニール袋、そして参加記念の数々を受け取った。協賛各社からの記念品を見てびっくり。やっぱり国際レースは違うなあと感心してしまった。

当日は天気予報どおり、朝からどんよりした空だった。 朝食前に少しJogをしてから、しっかり朝ごはんを食べた。そしていよいよ競技場へ行く途中からポツリ、ポツリと雨が落ちてきた。
私は雨のレースは嫌いではない。なぜかたいてい好タイムだ。暑いよりマシと何でもプラスに考えようと思った。
更衣室で準備をするランナーたちを見ているとみんな防寒対策を考えている。私は・・・寒いなんて考えもしなかったので、ランパンランシャツのみ。手袋も持ってきてなかった。しょうがないので、家を出るときにポケットにつっこんできたいつもの軍手をすることにした。

 
荷物はブロックごとに区切られてしっかり保管してくれる。スタート前はバーム飲み放題(笑)

着替えを済ませ、アップして、競技場外で点呼を受け る。並んでいると、北海道マラソン時の新聞のあの写真を見たというランナーが声をかけてくれた。ひゃ〜あの写真はそんなにインパクトがあったのか。それから、私のブログを見ていてくれているという方も声をかけてくれた。

 

時間になり、いよいよ憧れの国立競技場の中に選手として入っていった。私は、もうそれだけで感激してしまった。大勢の観客が雨の中声援を送ってくれている。Qちゃんや土佐さんの応援だけでなく、市民ランナーの私たちにも大きな声援を送ってくれているのがはっきりわかった。

 
  

競技場でコースに出るために並んでいると、役員さんから「靴の紐をもう一度確認してください」との声がかかる。
後ろのスクリーンを見ると、土佐さんとQちゃんが並んでいる。いよいよ私もここを走るのだ。
スタート前、周囲のランナーとの何気ない会話も温かかった。市民の部の後ろの方のナンバーの私のいた辺りは初めて参加とか、2回目とか国際レースビギナーさんが多かったようで、互いにお互いを励ましながら、頑張ろうと誓い合った。

敵は隣のあなたではなく、自分自身なのだ。あとは今までやってきたことを信じて走るのみ。
自信を持って行こう。

  • 雨の東京を激走

 

トラックに入ると緊張する間もなく、スタートの合図があった。慌てて時計を押す。
スタート後、競技場周回をエリートランナーがさ〜っと駆け抜けていく中、マイペース、、マイペースと頭の中で繰り返しながら走っていた。
でもちょっと速い。最初は下りだからオーバーペースに注意とわかっているはずなのに・・・。5キロまでキロ4分30秒ペース。ああ〜。

そのまましばらく、4分35秒〜40秒ペースで走る。20キロ地点、1:31:48。ああ速い。
でも、沿道の応援がとてもうれしいし、呼吸も苦しくない。雨もこの辺りまでは気持ちいいと思えるほどだった。

大勢のランナー仲間やアウトドア仲間が「こうめさん」と大きな声で応援してくれる。こんな気持ちのいいことはない。スピードが出て当然だ。あっという間に折り返し地点。なんだもう半分きちゃった。


折り返してすぐ風が向かい風になったのに気がついた。雨も少し強くなってきた 。
4月の伊達ハーフでみぞれの中を走ったことを思い出す。あれに比べたらどうってことないや。
風が正面から吹いてきて雨が顔にバチバチ当たる。なんだ、いつもの練習コースの向かい風と同じで私には向かい風がついて回るのか〜とやけくそになる。負けないぞ。
1キロごとの表示で時計のラップを押すけれど、雨で文字が良く見えない。後半は押さえる必要はないんだからとにかく頑張って前に進む。だんだん強くなる雨と風で体を芯から冷えてくる。腕や背中が動かなくなってきた。
足は惰性で動いているように自分では思えていた。あとからデュークさんから、ストライドが小さくなっていて腕も振れていなかったと聞いて、やっぱりそうだったかと思った。
30キロまではなんとかキロ5分を切って走っていた。

マラソンは30キロから。ここからロングスパート?(笑)のつもりだったけど、体が冷えていて動きがぎこちない。しかし、今までのどのマラソンよりも疲労度が少ない。お腹も空かないし、喉も渇かない。そんな状態でも少しでもエネルギー補給をと、アミノバリューの粉末や、カーボショッツを予定通り口に入れる。指は悴んで袋をちぎる事はできないので、歯で 食いちぎる。なんだかすごい状態だ。
 

この辺りから、少しずつ遅れだす人、そのままのペースで追い越していく人と、今までほとんど回りの顔ぶれが変わらなかったのが変化が出てきた。

35キロ。いよいよここから登りが始まるんだと気合入れのために、種抜き梅干の中に塩を詰めたものを取り出して口に入れる。さぞかし酸っぱいくて塩辛いんだろうと思っていたら体が塩分を欲求していたのか、するっと喉に入った。
少しずつ登っているはずの道のりだけれど、あまり登りと意識することなく走ることができた。もう時計は見なくていい。とにかく前へ。残り数キロなんだから。
 

 

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