健ちゃんと受け入れてくれたじぃちゃん(義父)大往生93年の人生に終止符。

今月始めに再入院し長くはないと覚悟はしていたものの、あっという間におばぁちゃんを置いて先に逝ってしまいました。あまりにも早く急な事と最近のコロナの影響で面会も間々ならず一人で93才の人生、看取る事も出来ませんでしたが大往生だったのではと思っています。再婚同士の我々を何も言わずけんちゃん・けんちゃんと家族の一員として受け入れてくれた義父、短いお付き合いでしたがありがとうございました。色々と心配だっただろう葬儀・初七日も無事に終えました。自身の心配事はなくなりました。後はおばぁちゃんの事だけ見守ってもらい天国でゆっくり休んで下さい。

毎年恒例化していた両親の誕生日のお出掛け食事会もこの一年程は足腰が急に弱り出掛ける事もままならない状態になり、食事のテイクアウトで自宅で祝う事になっていました。一昨年まではジムやプール通いが日課で絶対に私が先に逝ってもおかしくないと本当に感じていました。しかしどこかで歯車が狂い始めると坂道を転げ落ちるような速度で老いが進み、7月1日に再入院し余命6ヶ月ぐらいと宣告されたかと思うと、数日後には後1ヶ月ぐらいかもと聞かされ母親を合わせる段取りをしてた前日に危篤、危ないかもの連絡で病院に向かったものの数十分、間に合わず93才の人生を身内に見守られる事なく一人で天国に逝ってしまいました。人間の最後の儚さのようなものを痛感させられました。数年前から毎年必ず出掛けていた外食の誕生日を祝う食事会、もぉ連れて行けないのが寂しいです。

今月入院してから書いたと思われる走り書き、自身の略歴に葬儀諸々の心配事を記してありました。その中には葬儀関係の相談を私にしたらと記してありました。心配性で几帳面、こんな所は私も同じような性格なので似た者同士の私を記したのかなと思っています。我々夫婦は再婚同士で約18年、しっかりと見透かされていたのかなとも思えます。また他にはおかあさん宛てに今までの苦労を労う言葉と今後の人生を思いやる言葉、最後にはまた天国で一緒に暮らそうと書き残し、何時までも愛してるよ!で締めくくってありました。どんな心境で書いたか察する事も出来ませんが、思わず流れる涙・涙でした。そぉ~遠くではないおじいちゃんの思いかと思います。おばあちゃんも急に足腰が弱り、最近では認知も入った状態なのでおじいちゃんのようにあまり長く苦しまずおじいちゃんの側にいってもらいたいと願うばかりです。また余生はおじいちゃんの願い通り楽しく過ごしもらえばとも思います。